株式会社JCA 代表取締役 平木 誠

 

1988年に創業した株式会社JCAは、ソフトウェアの受託開発をしている会社です。2021年10月から現社長の平木誠氏へと事業承継され、現在は業務の最適化に悩む企業の相談に対応したり、Webサービス「Taberii(食べりぃ)」をリリースする等、福岡中の「こうしたい!」を解決すべく、日々進化を遂げています。

 

本記事では、平木氏が事業承継した経緯や苦労したこと、今後力を入れていきたい分野について詳しく伺いました。

 

事業の内容をお聞かせください

弊社は福岡市に本社を置くIT企業です。おかげさまで昨年35周年を迎えることができました。

 

弊社は、『福岡中の「こうしたい!」を私たちがシステムで解決します。』という思いで事業を行っています。ITに関する素朴な疑問や悩み事をどこに相談して良いか分からない福岡の中小企業・小規模事業者様にとって、私たちが第一の相談相手になります。私たちにとっては当たり前のことであっても、皆さまにとって私たちの知見やノウハウは価値があります。必ずしもオーダーメイドの大掛かりなシステムを作る必要はなく、例えば、私たちが数日間、数時間で作るツールによって劇的に業務を改善する可能性があります。

 

また、自社サービスの提供を行っています。「推し店」と「推し客」をつなぐアプリTaberii(食べりぃ)を今年の4月から提供開始しています。その他、九州電力株式会社様とドローンの自動飛行計画作成に関する共同研究開発を行い、特許を3件取得しています。その成果を、弊社がWebサービス「九電ドローンサービス FlightPlan」として製品化しています。

 

ソフトウェアの受託開発も行っています。機密情報が多いため詳しくは話せませんが、九州、日本を代表する企業様向けの基幹系、業務系システム開発等に携わっています。

 

アプリ「Taberii(食べりぃ)」についても詳しくお伺いできますか?

「Taberii(食べりぃ)」は、「推し店」と「推し客」をつなぐことをコンセプトに掲げ、今年の4月にリリースしたQRコード決済のアプリです。福岡地域限定で食事にしか使えないところがユニークです。

 

街の飲食店や弁当店をされている方と、街の人たちの有機的な結びつきをより強くしていく仕組みを作り、地域の活性化に貢献したいといった思いから、一昨年よりサービス開発をしていました。

 

全国展開のコンビニエンスストアやチェーン店等ではなく、地域の愛されるお店や地域に根ざしているお店に導入してもらい、街の人が通うようになり、お店とお客様が良好な人間関係を築けるようになることを目指しています。

 

また、企業が従業員の方にデジタル食事券を支給できるサービスを提供しています。これを導入頂いた企業様の人的資本経営の推進、無理のないシフトチェンジをお手伝いさせて頂きます。

 

東京商工リサーチによれば、昨年2023年は「人手不足」関連倒産が過去最高の件数でしたが、今年2024年はさらにそれを上回るペースでの倒産が続いています。この厳しい事業環境を生き抜いていくための重要なキーワードの一つは「人的資本経営」だと私たちは考えています。

 

「人的資本経営」と一言で言っても、これといった特定の有効な施策があるわけではなく、全方位的にあらゆる施策を長い時間を掛けて取り組んでいく必要があるものです。その点、「Taberii(食べりぃ)」は生活に欠かせない「食事」がテーマであり、また、企業側にとっては即効性のある施策として取り組みやすいサービスです。

 

 一流のビジネスマンを目指して入社。システムエンジニアから一気に経営者へ。

就職を決めた経緯と、事業承継した経緯をお伺いできますか?

大学では経済を専攻していました。周りの友人は、金融業界の大手企業やメーカー等に就職する人が多かったです。

 

その中で私は、自分自身が何をやりたいか、何に向いているのかはよく分かっていませんでした。「福岡で生きる」「一流のビジネスマンになりたい」といった思いだけを抱いて就職活動を行っていました。

 

弊社の説明会に出向いたのは偶然でした。様々な業界の話を聞いてみようと就職活動をする中で、当時の私にとって縁遠かったIT業界についても勉強してみようと考えて参加しました。そこで創業者である佐藤社長が話す姿に「本物の大人、一流の人物というのはこのような方のことを言うのではないか」と感じ、IT業界のことや、システムエンジニアがどのような仕事をするのか、自分自身の適性などは考えず、「この人についていこう」と選考を受けました。

 

結果的に、選考を受けたのは弊社を含む二社でした。無事に内定をもらうことができたわけですが、正直なところ、入社するまでシステムエンジニアがどのような仕事をするのか分かっていませんでした。入社した後、15年間システムエンジニアとして務め、30代の中頃からはプレイングマネージャーとして部下と共にシステム開発を行っていました。

 

転機があったのは、2020年5月のことです。佐藤社長から「次の人事で君を専務に指名する」「5年ほど私の側で経営を学びなさい」と告げられたのです。今振り返ってみれば、当時は自分事として捉えることができていなかったと思います。戸惑いはありましたが、「会社人として仕事を追い掛けていけば、辿り着く先は社長になるのだから、これまで通り精進していこう」と受け止めていました。

 

その直後に佐藤社長の肺ガンが判明することになります。病期はステージ4B、余命数ヶ月、その年の夏を迎えられるかどうかという状態でした。同年6月、役員や主だったメンバーが急きょ集められ、「佐藤社長が肺がんであること」、「今年の夏を迎えられるか分からない状態であること」「残された短い時間の中で次の体制に移行しなければならないこと」、「ついては平木を後継者に指名すること」を告げられました。

 

私にとっては青天の霹靂でした。役員や私よりも上位の社員、先輩社員がいる中で、「なぜ平木が」と思われていたと思います。

 

通常、従業員が社長になる場合、社員としての職位を昇進していき、その会社全体の業務を理解した上で役員に就任する等のステップがあると思うのですが、私の場合、プレイングマネージャーとして、お客様先で第一線でシステム開発を行っていた2020年7月には、使用人兼務役員として取締役に就任しました。そして、混乱や動揺を避けるために、佐藤社長の病状や経緯は伏せた上で、私が次期社長になることが社内外に公表されました。

 

そのような経緯でしたから、家族と、同じプロジェクトの部下たちは、お祝いをしてくれましたが、祝福された記憶はあまりありません。不穏な空気の中、不安定な日々が続きました。

 

佐藤社長は結果として2021年9月まで闘病しながら生き抜きました。「俺はもうしばらく生きるから、バックアップするぞ」と言っていた矢先、検査入院中に予期せず死去しました。それを機に、私は2021年10月に代表取締役社長に就任することになります。

 

仕事におけるこだわりを教えてください。

私個人としては「ルーチンワークをしない」「できない理由ではなく、どうすればできるかを追求する」「For Youの精神」の3つを大事にしています。

 

経営者としては「公私混同をしない」「JCAメンバーとの約束を守る」「筋道や道理を守る」の3つを心がけています。

 

「JCAで自分のやりたいことをして良いのか」葛藤があった3年間

事業承継から今までの最大の壁を教えてください

大きく3つあります。

 

1つは私の覚悟が問われることでした。2021年の6月、新入社員時代から私を育ててくれた先輩が、自宅で心筋梗塞により倒れました。それから心臓が止まっていたのが4日間、もしその最終日に心臓が動かなかった場合は処置を終了されていたそうです。もし心臓が動いたとしても、寝たきりになるか、普段の生活ができない可能性が高いとの医師の見解でした。

 

奇跡的に心臓は動き出したものの、それから意識が戻らない状態が4日間続きました。その間のご家族の心痛はとても想像することができるものではありませんが、私自身、回復を祈りつつも、もしかしてこのまま心臓が動かないままではないか、意識が戻らないのではないかということが、常に頭の中にはありました。そして、会社はどうなってしまうのだろうという思いも常にありました。

 

意識が戻っても、コロナ禍でしたのでご家族も含め面会はできませんでした。転院の移動の間に少しだけ時間を頂けることになり、会いに行きました。先輩を待つ間、初めてご両親にお会いし、ご挨拶させて頂きました。その後、先輩と顔を合わせた際に、先輩は私の名前が分かりませんでしたが、「すみませんでした」と言われました。私は未熟で、何も言うことができませんでした。

 

退院後、奥様と一緒に会社に挨拶にこられました。それは佐藤社長が亡くなってから約10日後のことであり、代表者不在の時期でした。その際に、「これから脳と身体のリハビリを行っていくことになるが、迷惑を掛けるわけにはいかないため、退職するしかないと考えている」との申し出を受けました。また、生活のこともあり、自宅で倒れたとは言え、業務における過労と精神的な重圧が影響していると思われるため、労災を申請して良いかと奥様から問われました。

 

私はどうして良いか分からず、その場では何も答えることができませんでした。すでに佐藤は亡くなっており、当時の私は誰にも相談することができず、悩みました。

 

その日の夜、先輩に、「一後輩として言います。できることは協力したいと思っていますが、会社ができることが何か、それが会社にとってどういうことなのか分かっていないのが正直なところです。時間が掛かってしまうかもしれません。おこがましいですが、何かしらの形で支援したいと思っています。待っていてください。」と伝えました。

 

私がまだ若い頃、ご自宅に招かれて食事を頂いたことがあります。その当時、小学生だったお子さんたちにも会っています。ご家族の顔が浮かんできます。「社員だけではなく、社員の家族の人生も背負っているのだ」「自分にはそれを守る責任がある」と覚悟ができました。

 

後日、私は社長として、「仕事への復帰に向けてリハビリを支援する」「システムエンジニアとして復帰できなかったとしても雇用は守る」「労災の申請はしてもらう」「立ち入り調査に全面的に協力する。罰せられるなら甘んじて受け入れる」「社員が犠牲になるような仕事は止める」と決断することになります。

 

現在、先輩はリハビリを経て、システムエンジニアとして開発に従事しています。先輩は九州大学大学院の数理学研究科を修了しており、私たちから見て特別なエンジニアでありマネージャーでした。そして、佐藤社長の構想では、ナンバー2として、私と二人でJCAを背負って行くはずでした。倒れる前の能力には及んでいない現実はありますが、その情熱や人間力は変わりません。尊敬すべき人です。

 

2つ目は2021年の10月に代表者になってから、弊社がどのような会社で、どのような理念を持っているのかを言葉で表現できなかったことです。

 

「For You」、「商店の親父」、「自己責任」、「バッファを持て」、「利他」等、佐藤社長がよく口にされた言葉はあり、会社の共通言語として私たちもよく使っていました。また、佐藤社長は毎月数時間をかけて、様々な事例を挙げながら、人はどう生きるべきかを私たちに語りました。それは私たちの中に長い時間を掛けて蓄積されていましたが、いざ佐藤社長がいなくなったとき、誰一人として体系立てて明確に説明することができませんでした。

 

また、会社の経営理念が分かりませんでした。「この会社は何を成し遂げるのか」「佐藤社長はこの会社で何をしたかったのか」「私たちはなぜこの会社にいるのだろうか」「社会におけるこの会社の価値とは何か」と、様々な疑問が降りかかって来ました。

 

私が急きょバトンを受け取って以来、私の仕事は何か、私の価値は何か、何のために仕事をしているのか、一体誰の役に立てているのか、JCAの企業理念や経営理念は何か、本質的な価値は何か、JCAとは何なのかをずっと考え続けています。

 

そこで私は、私のJCAにおける社会人人生を振り返るとともに、会社に残っている議事録を全て読み返し、さらに先輩たちの話を聞いた上で、私が解釈し実践してきたJCAを誰でも理解できるように体系立てて整理したものを「経営計画書」として形にしました。私もこの「経営計画書」の方針に従って経営を行っています。また、社内の教育にも活用しています。

 

3つ目は、この会社で自分のやりたいことをやって良いのだろうかといった葛藤です。

 

JCAは私が起業した会社ではありません。私が手を挙げて社長になったわけでも、メンバーに推挙されたわけでもありません。新卒で入社して仕事を頑張ってきて、何かの巡り合わせで社長になっただけです。また、企業は社会の公器であり、オーナーや経営者等、特定の誰かの物ではありません。

 

それにも関わらず、たまたま社長になった私のようなものが、新しいビジョンを掲げて良いのか、私がやりたいと思うことは、JCAがやるべきことなのか分かりませんでした。このような迷いの中で、社員やその家族を含め100名を超える人たちの生活と人生の一部を預かっていることは、非常に無責任であると考えていました。

 

しばらく葛藤を抱えながらも、誰にも相談できずにいました。そのようなとき、佐藤社長が生前大変お世話になった、株式会社はせがわの長谷川裕一相談役に相談させて頂く機会がありました。私自身、経営者と文化人の団体である「博多21の会」で大変お世話になっている方です。

 

葛藤を吐露したとき、長谷川相談役は「人間関係で最も大事なことは“信”である。“信”とは、人と人との間に隙間が無いことを言う。つまり、その人と“一体”であるということだ。君と佐藤さんは“信”によって結ばれており、一体だ。君の中で佐藤さんは生きている。佐藤さんと社員のみんなも一体だ。だから、君が志を持ってやろうとしていることは、佐藤さんがやりたいと思っていることだ。佐藤さんは無限の命を生きている。いつも君のことを見守っている。安心しなさい。」と仰ったのです。

 

その言葉に感謝の思いと勇気を頂き、これまで目の前にあった霧のようなものが晴れ、過去や後ろばかりを振り返るのではなく、未来を見据えて前進することができるようになりました。

感謝の気持ちで社会にお返しをしたい

進み続けるモチベーションは何でしょうか?

私は自分自身を信じています。「生まれてきたからには、この世に対して自分がやらなければならないことがある」と気づいた人間がやらなければなりません。

 

私が接する世の中にお返しをしていかなければならない、そうすることで、お返しを受け取った誰かが受け継いでいく。それが広がっていけば、社会はもっとよくなる。日本は素晴らしい国になると信じています。それは誰かがやるのではなく、私もやらなければなりません。

 

また、私の妹のことですが、彼女は障害を抱えており、誰かのサポートが無ければ生きていくことができません。私が「一流のビジネスマンになりたい」と考えていたのは、彼女の分まで社会の役に立つ役目があると思ったからです。そして、「福岡で生きる」ことを決めたのは、最期を看取るためであり、その時、私がみんなのお役に立てたのは、妹がいてくれたからだと伝えようと、大学生の頃に考えていました。

 

私の父も母も、いろんな葛藤の中で人生の選択をしてきたはずです。父は私が中学生の頃まで建設会社に勤めており、私が子どもの頃から、夜遅く帰ってきてから資格の勉強をしていた姿を覚えていますし、母は大学病院の看護部長に推薦されるような人でした。仕事を追い掛ける人生もあったのではないかと思います。いろんな事情や制約がある中で頑張ってきた両親から、私は様々なものを受け継いできました。その分、私は社会の役に立ちたいと思います。

 

そして、今でこそ情熱を持って仕事をしていますが、実は私は30代の中頃まで、仕事が苦痛で、会社を辞めたくて仕方がありませんでした。この仕事を生涯やり抜く覚悟がないにも関わらず、結婚するのは無責任だと考え、長い間結婚する決心がつかずにいました。妻とは私が30歳のときに結婚することになりましたが、思えばそこから私の人生は上向いているような気がします。

 

おそらく、妻がいなければ、私はつまらない人間のまま、つまらない人生を送っていたはずです。自分のことばかり考えて、誰かの役に立とうなどと考えていませんでした。当時、よくぞそんな私と結婚してくれたなと思います。

 

妻は、現在は子どもが小さいため家を守っていますが、私は妻の直観や感性を信頼しているため、会社のことや人付き合いのことについて、あらゆることを相談しています。唯一無二の相談相手であり、JCAの影のフィクサーです(笑)。そして、核心をついてきます。面と向かってズバッと指摘されると反発します(笑)が、冷静になってみれば妻が正しいのです。

 

また、子どもを授かったことが、やはり私の人生においての重要な転機になっていると思います。内向き志向で現実から逃げることばかり考えていた私が、家族のために頑張ろうと考えるようになりました。この世の中に、私を応援してくれている家族がいると思うだけで、勇気が湧いてくるのです。ちなみに私は大事な場面を迎える際、必ず結婚指輪を触りながら勇気を奮い立たせます。

 

プレイングマネージャーの頃は、子どもたちが大きくなった時に、「このシステムは父さんが作ったんだ」と、自慢したいと思って仕事を頑張っていました。おかげで、30代の中頃から誇りを持って、仕事に情熱を持って取り組むようになりました。

 

子どもたちは私の宝物です。両親が仲良く、仕事や社会に対して楽しく活力を持って生きている姿から何かを感じ、子どもたちは社会に希望と志を持ち、世のため人のために役に立ち、豊かで幸せな人生を送ってもらいたいと思います。

 

今後やりたいことや展望をお聞かせください

現在は、「Taberii(食べりぃ)」を一生懸命広げていこうとしていますが、あくまでこのサービスは、地域の皆さんのお役に立つためのきっかけの一つです。私たちのことを広く知って頂くことで、地域の皆さんへ知見やノウハウを提供し、福岡のITの会社と言えばJCAと言ってもらえるような会社へと発展させていきたいです。その中で、JCAのメンバーの活躍の幅が広がっていくはずです。

 

そして、雇用を生みたいと思います。社会には家族の事情等により正社員での働きにくさを感じている人がたくさんいると思います。また、障害を抱えていても、自活のために仕事を通じて社会の役に立つ舞台が必要です。

 

短時間でしか仕事ができない事情の方や、日中家を空けることができない方等は、活躍の舞台が少ないのではないかと思います。ライフステージや環境によって変えられる働き方をJCAが先駆けとなって、あらゆる人が輝く舞台を生み出していければと考えています。

 

会社の歴史を理解し、残しておく

事業承継しようとしている方、また起業しようとしている方へのアドバイスをお願いします

事業承継する上でまず大事なことは、それまでの歴史や信念、理念を知り、会社を理解することだと思います。

 

私は佐藤社長から話を聞くことが叶いませんでしたので、記憶を遡ったり、先輩社員の話を聞いたりしながら、やっとの思いで会社の軸となる歴史や信念を書き起こしました。

 

佐藤社長の中にはもっと深い思いや情熱があったはずです。私にとってはカリスマですから、存命であったとしても、聞き取ること、それを受け継ぐことは容易ではなかったと思います。できなかったかもしれません。もし、機会があるなら、聞ける人がいるうちに形にしておくと良いのではないでしょうか。

 

起業する方にお勧めするのは、ありのままの自分で仕事をするのではなく、自分の志や行動指針となるものを定めておくことです。

 

経営をする中で、時々の状況に振り回されてしまうこともあると思います。その時、自分たちが大事にするべきものを定めておくと、それに従って行動できます。もし不都合が生じるのであれば、理念や行動指針に立ち返って、進化させれば良いのです。自分がその時々の状況に流されず、ブレた判断をしなくて済みます。

 

本日は貴重なお話をありがとうございました!

経営者データ:平木誠 氏

1981年生まれ。

明治大学政治経済学部卒業。

在学中の就職活動中、何気なく参加した会社説明会で創業者に憧れ、2005年JCAに就職。

入社後はシステムエンジニアとしてシステム開発を行う。

2021年、代表取締役社長に就任。

 

企業情報

法人名

株式会社JCA

HP

https://www.nzkjca.co.jp/

設立

1988年12月21日

事業内容

ソフトウェア開発、ドローンサービスの開発・研究

沿革

1988年12月 株式会社日本コンピュータ・アソシエーツ 設立

1989年4月 福岡市中央区渡辺通りにて営業開始

1996年5月 体制拡大のため福岡市早良区百道浜ソフトリサーチパークへ事務所移転

2005年8月 iso9001認証取得

2009年11月 iso27001認証取得

2021年6月 九州電力株式会社との共同研究により、「ドローン飛行計画作成システム及びプログラム」の特許取得

2022年12月 社名を現在の株式会社JCAへ変更、博多へ事務所移転

2023年4月 九州電力株式会社との共同研究により、「ドローン操縦位置検索システム及びプログラム」、「ドローン視認可能領域表示システム」の特許取得

2024年4月 「推し客」と「推し店」をつなぐアプリTaberii(食べりぃ)を正式リリース

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