【#327】与える教育から”子どもを起点”とした教育に変える。希望ある教育で、自他ともに幸せに生きられる世界の創造を|代表取締役 星野 達郎(株式会社NIJIN)
株式会社NIJIN 代表取締役 星野 達郎
オルタナティブスクールの「NIJINアカデミー」や教員研修のプラットフォーム「授業てらす」、人間関係など教員の悩みを共有できるオンラインコーチング「先生コーチ」など”教育”を軸にさまざまな角度から「人が幸せになる力・人を幸せにする力」を信じ、各種教育関連事業を展開する株式会社NIJIN。教育から社会の変革を志すのは、代表取締役である星野 達郎氏が歩んできた人生で感じたこと、さらに教員として直面した課題などが深く関係しています。今回、同氏に事業内容に加えて理念につながる印象的な出来事、今後の展望などをお話いただきました。
オルタナティブスクールなどの教育事業で幸せになる・幸せにする人材を育てていく
事業の内容をお聞かせください
当社は、小学1年〜中学3年の不登校児童生徒を対象としたオルタナティブスクールである「NIJINアカデミー(略称:ニジアカ)」を運営しています。本校舎をメタバースとして、現在は全国9地域にリアル教室を設置しています。
別事業の「授業てらす」(※詳細は後述)に所属する全国のトップ教師が本校で授業を行っており、小学1年生が中学3年生の授業を受けるなど、学び方や学ぶ内容を自ら選択することができます。また、38の企業や自治体、各種機関とも連携しており、例えば企業の製品を活用した特別授業を展開するなどコラボレーション企画を行うこともあります。
「多様性×教育共創モデル」を基に、これからの時代に必要な”真の学力”を自宅からでも身につけられるよう、「自分・学び・社会」を好きになるスクールを展開しています。
公立の小中学校は大人が決定した学習指導要領に沿ってそれぞれの教科の学習を進め達成していくことが、子どもにとっても、教員にとってもゴールとなっています。「NIJINアカデミー」はその点とは逆の発想で、それぞれの子どもを主体として、ありたい姿・なりたい姿を尊重し合えるような教育を創っていきます。
尖った才能や個性を持つ子などは、同じ年齢と同じ地域で一緒に過ごさねばいけないという「同質性」、これが何年も続くという「永続性」、そして教科や時数、学び方を決められているという「非選択性」が存在する公立の学校生活に合わない子もいます。そして、不登校になると周囲の目が気になり、自己肯定感が下がってしまう状態に陥ってしまいます。
そこで、メタバースというオンライン空間で通学し、在宅で友達を作り、豊かな教育体験を得て、そして信頼できる大人とつながることができる環境を確立しています。多様な生徒が在籍しており、 Vtuberとしてデビューした子やプロ棋士として活躍する子、海外に進学が決まった子もいます。
そのほか、教育研修プラットフォームの「授業てらす」といった事業もあります。私も経験しましたが、特に地方だと少子化で1学年単学級が普通の状態になっており、周りに相談できる先生がいないというケースもあります。
そこで全国約500名の教師たちが授業を「見て、見せて、語り合う」ことができる場をつくり、学校の中と外から、教育を仕組みから変えていくような取り組みを行っています。
今後はこの事業もより拡大を進めて、教育は自由で楽しくて、そして子ども主体なんだという文化を醸成していきたいと考えています。
他社との違い、強みだと感じるところはございますか?
「NIJINアカデミー」は、公立学校とは逆の教育モデルであることが強みだと考えています。つまり、それぞれの”子ども”が主体であり、その子を起点にして対話的かつ共同的な深い学びが得られるということです。その取り組みをオフライン・オンラインのハイブリッド型で確立しており、組織として濃密に落とし込めています。
事業を始めた経緯をお伺いできますか?
”NIJIN”という会社名が出来た理由についてお話します。
高校3年生の春に、目の前で後輩が亡くなるつらい経験をしています。当時、私は陸上部に所属していました。陸上部のその後輩は、足も速くて、優しくて端整な顔立ちで周囲から好意を寄せられるような方でした。
ある日、競技場で試合前のウォーミングアップの際に、後輩が他校の生徒と衝突してしまいました。その後、彼は、救急車で運ばれ、残念ながら後日亡くなってしまいました。
それからしばらく、「なぜこんな良い人間が亡くなり、私が生きているのだろう」という無気力の状態に陥ってしまいました。そして、命は人のために使うものだという考えに至りました。
大学卒業後に、JICA海外協力隊として発展途上国(グアテマラ)に訪問した理由も、根底に貧しい人たちのためにがんばりたいという思いによるものです。
加えて、国の有形文化財「新むつ旅館」の女将との交流も新たな考えと出会うきっかけとなりました。
帰国後は青森県で小学校教員として働いていたのですが、偶然泊まった旅館で当時80歳の女将と意気投合し、「この建物を修繕していきたい」という女将の夢を知りました。そこから2年間は夢のお手伝いをするべく、教員の傍ら、週末は旅館へ通いました。
しかし2年後、女将が癌で亡くなってしまいました。亡くなる5日ほど前、手を握りながら女将が話した言葉が「人は幸せになるために生まれてきたの。誰だってどこにいたって幸せになるの」でした。
私はその言葉に衝撃を受けました。女将は嫁いだ先が元遊郭の宿だと知らなかったり、娘に発達障害がありいじめられたり、不遇な人生を送っていたと思っていました。他方、生前に笑顔で働く遊女の写真を見せてくださり、「彼女たちは、誇りを持って働いていた」ということも聞かされていました。
それまで「人のためだけに命を使うこと」ばかり考えてきましたが、この女将との交流で、すべての人はそれぞれ「幸せになる力」を持っていることに加え、「人を幸せにする力」も備わっていることに気づかされました。
幸せになる力と幸せにする力、いずれも大事です。その両方を持つこと、すなわち「1人の人の中には、2人の人がいる」ということが、会社名を「NIJIN」にした由縁です。このNIJINの理念が、教育モデルを世に広げていこうという今日の事業展開につながっています。
人を幸せにするために仕組みから教育を変える
仕事におけるこだわりを教えてください。
仕事を通じて人を幸せにすることにはすごくこだわっています。
私は異国で2年間教員を担った経験から、日本の教育制度が全国どの場所にいても、おおむね均一化かつ標準化された教育を国民が享受できる仕組みであると深く感じました。
一方で、子どもと先生が自分を表現できていない、目がキラキラしていない、ワクワクしていない現状がありました。そして、不登校の数が多いという憂慮すべき課題が存在しています。そのような中、教員として働きながらも、隣のクラスの子さえ救えない自分自身が許せませんでした。
だからこそ、仕組みから教育を変えるにはどうすればいいのかを考えて、起業して、現在に至ります。そして人を幸せにすることを軸に取り組んでいます。
起業から今までの最大の壁を教えてください
元々教員として勤務していたため、起業家としては実力がなく壁に当たることも多くありました。
特に起業して1年目は、円形脱毛症や不眠症などに悩まされました。今となっては理解できますが、当時はかつての同僚から白い目で見られたり、友達が協力してくれなかったりすることについて色々と考え込んでいました。
また、採用してずっと一緒に事業を進めてきたメンバーと決別するなど、人間関係でトラブルが起きてしまったこともあります。そのようなさまざまな出来事によって、心身に不調を感じたこともあり「ダメな人間だなあ」と思ってしまうこともしばしばありました。
子どもの成長を直に感じられることが原動力に
進み続けるモチベーションは何でしょうか?
絶望していた子供たちが希望を持って生きていく姿が私のモチベーションとなっています。
「NIJINアカデミー」にたっちゃんという子がいます。彼は構音障害で「あいうえお」は話せますが、子音は上手く発音できません。言葉が話せないことで学校生活で生きづらさを抱えていたことに加えて、他の生徒を怒鳴るような教員の声が怖く、先生がだんだんと怖い存在になってしまい不登校となりました。
そのため本校に通学する経緯となりましたが、最初は、オンライン上で顔も声も出さずといった状態でした。しかし、徐々に全国に友達ができ、顔を出すようになりリアルの場にも参加するようになりました。
スマホの読み上げ機能などを活用して「僕はたっちゃんです。鉄道が好きです」と発表した日は皆で泣いたことを覚えています。
そのたっちゃんが先日、とある企業の新商品開発プレゼンで「先生が怖くて不登校になったけれども、NIJINで過ごすうちに先生にも色々な問題があることを知りました。もしかすると先生は悪い人ではなくて、忙しくて余裕がなくて、怒鳴ってしまったのかもしれない。だから先生をハッピーにするようなロボットを作りたいです」と発表したんです。
これが、まさに人が幸せになる力、そして、人を幸せにする力です。こういう場面に出会うと感動しますし、一番のエネルギーになります。
今後やりたいことや展望をお聞かせください
今、高校を創っていますが、幼稚園や大学も創っていきたいです。そして、公的な教育機関とは別のルートとして、NIJINというブランドをしっかりと広めていきたいと思います。
これがセーフティーネットといいますか、保護者の方に「Aがダメだったとしても、Bがある」という教育の”選択肢B”として安心して選べるように用意していくつもりです。このようなかたちで国に貢献していきたいと考えています。
さらに、今後は海外進出も計画しています。現在はマレーシアに姉妹校が1つあるのですが、今後はオーストラリアやニュージーランドにも姉妹校を創りたいと考えています。これにより、日本の子どもたちに世界に友達がいるような環境を再現することができるという希望を持っています。
日本はやはり良い国であるため、日本人であり続けることが多様性のひとつであり、世界に打って出られる人材となって貢献していくべきだと考えています。ゆくゆくは、グローバルサウスで起きるであろう食糧問題などさまざまな課題に、日本人として、日本の教育者として世界平和に貢献できるようなことがあれば本望です。
また、最近は「星野起業塾」を開いていますが、これは起業家を無限に増やしていきたいという考えがあります。
世の中の仕組みから何かを変えていくという起業家を世に輩出していきたいです。渋沢栄一が何百もの事業づくりに貢献したと言われていますから、私はそれ以上の数の事業を創りたいです。将来的には、小中高生に向けても起業の支援プログラムを提供できたらいいなと思います。
人の幸せのためにやり遂げることに、大きな価値がある
起業しようとしている方へのアドバイスをお願いします
私にとって起業とは、世界をハッピーにすることを仕組みから可能にする手段だと感じています。ただ、実際には苦しいことばかりで「自分はあまりできないな」と思わされることも多くあります。
しかし、一度きりの人生でこの人たちを幸せにすると決めてやり遂げることは非常に価値のあることです。だからこそ、諦めないで頑張っていただきたいと思いますし、「救いたい、幸せにしたい」という思いのある人を力にして、一緒に前に進んでいきたいです。
NIJINの事業活動に共感してくださる方に向けてメッセージをお聞かせください
達成したいことは「教育観の転換」です。世間の方々が”教育”という言葉を聞いた時に思い浮かべる現在のイメージ像を変えていきたいです。今はまだ教育で皆が幸せになれると思っていないですし、人を幸せにできるとも思っていません。だからこそNIJINを通してさまざまな活動を続けています。
おかげさまでこの思いに共感してくださる企業の方々とも出会うことができ、実際にコラボレーションも生まれています。これからも、当社の理念や事業などを理解していただき、応援してくださる方に出会えることを期待しています。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
起業家データ:星野 達郎氏
千葉大学教育学部卒業後、ツアー添乗員、JICA海外協力隊グアテマラを経て、青森県の小学校教諭として7年間勤務。
2020年熊本豪雨災害に対し、5年生の子どもが主体となり全校・地域を巻き込み10万円の義援金を集め人吉市市長から感謝状をもらう。教員をしながら国の有形文化財「新むつ旅館」のボランティアや、異年齢×外遊びをコンセプトにした親子広場「星のあそび塾」の運営を行い、地元紙等に掲載。
学校現場で「自分を出せない子ども」と数多く出会い、不登校が増え続ける現状に国の危機を感じ、2022年に株式会社NIJINを創業。
企業情報
法人名 |
株式会社NIJIN |
HP |
|
設立 |
2022年4月1日 |
事業内容 |
教育課題を仕組みから解決する教育事業 (教師研修、不登校オルタナティブスクール、起業支援、教育イベント、アフタースクール等) |
関連記事