【#557】道なき時代に道をつくった女性起業家。人に寄り添い、命をつなぐ世界初の電話情報サービスを創業|代表取締役社長 今野 由梨(ダイヤル・サービス株式会社)

ダイヤル・サービス株式会社 代表取締役社長 今野 由梨
女性の社会進出が一般的ではなかった時代に、差別と偏見の中で道を切り拓いて起業した今野 由梨氏。世界で初めて電話情報サービスを行ったベンチャー企業「ダイヤル・サービス株式会社」を創業し、「赤ちゃん110番」や「子ども110番」、「セクハラ・ホットライン」など社会課題に正面から向き合うサービスを次々と立ち上げ、これまでに少なくとも数十万人の命を救ってきました。現在も、自身の使命を追い続けています。
世界初の電話情報サービスを立ち上げ、半世紀以上にわたり命に寄り添い続ける
これまでの事業活動についてお聞かせください
私は電話をこの国で初めて「生活者を発信者とする双方向情報メディア」と捉え、日本初の電話による育児相談サービス「赤ちゃん110番」をはじめ、「子ども110番」や「NECまごころコミュニケーション(ハンディキャップ110番)」などを立ち上げ、人々の命と心に寄り添う活動を続けてきました。
これらのサービスによって何十万人もの人々の命を救うことができました。ある時、まったく見知らぬ人たちから声をかけられ、「このサービスのおかげで私は今、生きています」と言われたことがあり、自分たちの仕事の成果を知らされ、感動の極みというしかありませんでした。
「助けてもらった命を大切にして、今は自分が誰かの命に寄り添う仕事をしています。それが恩返しです」と話してくれた方もいました。こんなにうれしいことはありません。
国境なきお母さんとして、世界平和、地球気候変動対策、地球上の様々な生命のために、これからの人生も最後まで、私はこの活動を本気で続けていきます。
「女の意見は必要ない」と言われた日から女性が活躍できる会社をつくるまで
事業を始めた経緯をお伺いできますか?
私の起業の原点は、9歳のときに体験した戦争にあります。生まれ育ったのは、三重県桑名市で、歴史・文化と美しい自然に恵まれた素晴らしいまちでした。
ところが、その故郷は米軍の空襲によって一夜にして焼け野原になりました。私は家族とはぐれ、一度死に、その後見知らぬ人に背負われて避難しました。この体験をきっかけに、いつかアメリカへ渡り、あの夜の体験を多くの人に伝えたいという強い願いが心に芽生えました。
まずはその夢に近づくため、東京の大学へ進学しました。卒業後は社会に出ようと10社以上の企業に応募しましたが、面接で「仕事は男がする。その部下としてお前は向かない」と言われすべて不採用となりました。当時の日本には、女性が活躍できる職場はありませんでした。
それでは10年後に女性が社会の声を聞き取り、理解し、幸せをつくる、女性の力を発揮できる会社を自ら生み出すしかないと決心しました。
その後、新聞社での校正や執筆活動などたくさんのアルバイトをしながら経験を積み、TBSでテレビ番組のリポーターとしても働くようになりました。資金を貯め、決意した通りの10年後にダイヤル・サービス株式会社を立ち上げることができました。

TBSなどでの経験はどのようにその後の人生に影響しましたか?
TBSとの出会いは、産経新聞の編集長から声をかけられたことがきっかけでした。新しく「まちのうたごえ」というルポルタージュ番組を始めるので、そこでインタビュアーをやらないかということでした。
有名人を使わず、無名でも新しい時代の動きを捉えて積極的に挑戦できる人を探しており、まさかその候補が女性だとは、誰も思っていなかったようですが、最終的に私がその番組を担当することになり、企画から取材、そして出演まで一貫して関わりました。毎週あちこちへ取材に行く中で、多くの人たちとつながることができました。
創業してある日、NHKの朝の番組「カメラリポート」が会社に取材に来られたのをきっかけに番組リポーターのお誘いがありました。スキューバダイビングなどほかのリポーターもやりたがらないテーマに挑戦したおかげで、誰もできないことをたくさんさせていただき、かけがえのない経験ができました。
こうして振り返ると、様々なことに挑戦し、未知の世界に迷わず飛び込んでいくことで得た経験や人脈は、その後の活動の大きな礎になったと思います。
起業前に世界放浪の旅をされたそうですね。その経験についてもお聞かせください
1964年に開催されたニューヨーク万国博覧会の日本館での広報委員、そして100人のコンパニオンの班長として採用されて、渡米し、そこで世界中のパビリオンの方々と出会いました。
1年半の渡米中、休日を利用して事業のアイデアを探していたところ、イエローページの「テレホン・アンサリング・サービス(TAS)」が目に入りました。興味を持ち電話をかけてみるとオフィスに招いてくれたのです。TASは電話対応による会員制秘書サービスなどを行っており、オフィスには女性たちの電話の応答が部屋中に響き渡っていました。
対応してくれた女性社長に、起業を夢見ていることなどを話したら「あなたにもぜったいできる。何か壁があっても、太平洋の向こうから私たちが応援していることを忘れないで。」と励ましてくれました。この出会いは、私の新しいビジネスに対するイメージを大きく加速させるきっかけになりました。その後は欧州に渡り、現地の電話を使った様々なサービスを体験しました。
そのほかにも、エジプトではピラミッドを案内してもらい、観光客には決して見せない特別な部屋にまで入れてもらいました。王様の棺を見せてもらい、中に入って写真まで撮らせてもらったことは良い思い出です。どの国でも、普通の観光では決してできないような貴重な体験をさせてもらいました。
私は戦争で美しい町も家も一夜で失い、私自身も火の海の中で一度死んで生き返った奇跡の体験をしました。しかし、そうした過去があったからこそ、このような奇跡的な出会いや体験が生まれたのだと思います。もし何不自由なく暮らしていたら、こんな幸運には決して恵まれることはなかったでしょう。

平和な世界と、すべての命が輝く地球を次の世代へ
未来を見据えてこれから成し遂げたいことはありますか?
私は9歳の時に戦争や飢餓という地獄の体験をしました。今この瞬間も、世界のさまざまな場所で子どもたちが命を奪われています。戦争はもう二度と繰り返してはいけません。平和な世界をつくることが、私の一番の願いです。
もう一つの願いは、この地球に生きる動物や植物をはじめ多くの命をもう一度よみがえらせることです。その実現をこの目で見届けたいと思っています。どうか皆さんにも力を貸していただきたいです。
名誉やお金だけに囚われず、人の気持ちに寄り添う仕事を忘れないで
他の起業家へメッセージをお願いします
人間が一番やってはいけないことは、戦争です。私たちが一生懸命働いて納めた税金が、戦争のために使われることがあってはなりません。どうか皆さん、一緒に平和な世界を築いていきましょう。
政治家や官僚の方々も、実際にお会いすると本当に誠実で良い人ばかりです。ただ、戦争を体験したことがない世代が多いため、戦争の悲惨さを心の底から理解することは難しいのだと思います。
もし戦争が再び起これば、また多くの尊い命が奪われてしまいます。決して同じ過ちを繰り返してはいけません。
今、スタートアップで挑戦を続けている皆さんには、素晴らしい未来が待っていると思います。しかし「本当に素晴らしい人生」とは何でしょうか。私はそれを、名誉やお金を手にすることだけだとは思っていません。本当に幸せになるためには、人の気持ちに寄り添い、温かく支え合うことが大切です。どうかこのことも忘れないでください。
会社経営と、力を入れていらっしゃる社会貢献にかける想いをお聞かせください
社員一人ひとりの努力のお陰で、会社は少しずつですが健全に成長していきました。ただ、私個人は今でもまわりから「日本一貧乏な社長」と言われています。会社のお金には一切手をつけず、私自身が稼いだ分はすべて、海外の子どもたちの支援や自分の使命に充てています。
私は「国境なきお母さん」として、海外にも愛する娘や息子のような存在がたくさんいます。彼らは、私に何かあると大切な仕事を後回しにしてでも駆けつけてくれるのです。私が持っているのは、そうした人との絆という何にも代えがたい財産です。
もうすぐ90歳になりますが、今も仕事だけでなく社会のため、子どもたちのために世界を飛び回っています。そのせいか私は今も元気に動き回り、健康長寿のモデルとも言われています。
これはきっと、天が与えてくれたご褒美だと思っています。まもなく90歳ですが、これまでの試練の経験を生かして、さあこれから、本番人生のはじまりです。

本日は貴重なお話をありがとうございました!
起業家データ:今野 由梨氏
三重県桑名市出身。津田塾大学英文学科卒業。1969年にダイヤル・サービス(株)を設立。日本初の電話育児相談サービス「赤ちゃん110番」や「セクハラ・ホットライン」など時代に応じて様々なサービスを提供。若手起業家への支援も積極的に行い「ベンチャーの母」として、また、「国境なきお母さん」として中国・韓国などアジアのリーダーたちからも慕われている。2007年「旭日中綬章」を受章。2025年「津田梅子賞」受賞。政府「税制調査会」、内閣府「生活産業創出研究会」のほか、総務省、厚生労働省、文部省など過去に44の審議会の公職歴をもつ。
企業情報
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法人名 |
ダイヤル・サービス株式会社 |
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HP |
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設立 |
1969年5月1日 |
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事業内容 |
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